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■【昭和史の分析家の面目躍如】(HP作成日:2008.07)(ナカサム)
■ついに!ツイニ!遂に。。。!!!!(2008.07.07)。。!!
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【「歴史」の言葉の意味が。。。これがナカサムが求めていたものです。】
。。。。【遂に!!!発見です!!!】。。。「保阪正康先生」に感謝!!!
。。。。「先生の作品の[まえがき]から抜粋!!」。。。。さて、どの本でしょうか?
******〜7/7***16冊を購入******(横書もあります!)************



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 【まえがき】

  −本書を読む人のために−

 人は《時代》と《歴史》に生きる存在ではないだろうか。

《時代》に生きるとは、自らの人生を自らの考えで、あるいは与えられたその時代 的制約のなかで生きるということだ。教育を受け、職業をもち、家庭をつくり、子 供を育て、という人生のサイクルのもとに自らの一生を全うすることだ。

《歴史》に生きるとは、そういう自らの生き方のなかに、好むと好まざるとにかかわらず 歴史とふれあっている部分かあり、それを意識しているという姿勢をさしている。 《歴史》とふれあっている部分というのは、自らの存在か祖父の世代・父の世代の 投影であり、そこに投影されたもの(それを文化とか伝統といっていいのだが)を子 や孫に伝えるということだ。この場合、伝えるというのは直接に言葉でということ もあるし、実際に自らの生きた姿をとおして理解してもらうという意味も含めている。

《時代》と《歴史》に生きるという自覚をもたなかったら、人はなんと寂しく虚し い存在であろうか。

 自分の人生だ、何をしようと勝手だ、自分が好きなように生きればいいのだ、と いう考えかあり、それはそれで結構なことだが、しかしそれでは単なるわがままと いうことでしかない。経済生活にのみ埋没し、自分の楽しみだけを追い求めるタイ プが、しばしば社会的には得手勝手な態度をとるのは《歴史》に生きるという視点 に欠けているからだ。

《歴史》を意識すれば、なにがしかの文化や倫理、さらには人間的素養というもの を身につけなければならないと気づくはずだ。むろん歴史的事実をすべて肯定し追 随するということではなく、自分は歴史から何を学んだかという確固とした信念を もつという意昧なのである。(原文のまま、抜粋!!)

----------------<横書きで。。!!。。(笑)>-------(2008.07.07)-----------------



【保阪先生の作品のみ。。。16冊(除く重複)。。。(2008.07.07)】


(01)「昭和戦後史の死角」
(02)「後藤田正晴」
(03)「きけわだつみのこえ」の戦後史
(04)「昭和史 七つの謎」
(05)「昭和史 忘れ得ぬ証言者たち」
(06)「昭和史 七つの謎 PART2」
(07)「あの戦争から何を学ぶのか」
(08)「太平洋戦争の失敗・10のポイント」
(09)「昭和史がわかる55のポイント」
(10)「時代に挑んだ反逆者たち」
(11)「父が子に語る昭和史」
(12)「あの戦争はなんだったのか」
(13)「昭和の名将と愚将」
(14)「昭和史入門」 
(15)「昭和史の焦点」
(16)「良識派の模索」
(※)(2008.07.07:現在)